【戦え、そして考えろ】進撃の巨人アニメ最終回を終えて感じたこと

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Software Enginnerとしてオーストラリア移住を目指している

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進撃の巨人から受け取ったメッセージ

2023年11月4日、アニメ進撃の巨人が最終回を迎えました。10年にも及ぶロングランで、筆者もアニメがスタートした時はまだ高校生でした。「進撃と共に青春を過ごした」といっても過言ではないほど、我々の世代にはとても身近な存在でした。

最終回を見てまず感じたのは「感動よりも虚無感」でした。

「あーついに終わってしまったのか」と。
とにかく、作者の諫山先生、長い間お疲れ様でした。

処女作でこんなにヒットすると、世間の次回作への期待が怖いですねw
私だったら「漫画家をやめて旅に出る」といってとりあえず飛び出しそうです。

さて、この記事では、私が進撃の巨人という作品から受け取ったメッセージを1つピックアップして掘り下げていきます。誰のためでもなく自分のメモ用です。熱が冷めやらぬ内に記事にしておこうと考えも無しに筆を走らせ始めました。

「闘え、そして考えろ」

進撃の巨人は沢山の伏線回収とウィットに富んだメッセージ性のあるセリフで読者を常に飽きさせませんでした。人によって解釈の仕方が異なり、ネットでは数えきれない「考察記事」なんか出てましたね。それを読むのが1つの楽しみでしたよね。

私がこの作品を通して強く感じたことを一言で表すと、

「闘え、そして考えろ」

「闘う」ということ

まず「闘う」ということ。漫画には必ずといっていいほど存在する要素が「敵と闘う」ということ。主人公がいて、敵がいる、という構図。進撃の巨人はその辺りが少し複雑でした。

登場人物をざっくり2種類に分けると、「人間vs巨人」「人間vs人間」「巨人vs巨人」という3パターンの構図がありました。単純な「化け物」としての巨人に人間が立ち向かうところから始まり、実はその巨人が「人間」であることを知る。「エルディア人」「マーレ人」といったラベリングから、人種を介した人間同士の戦いがある。とはいえ、実際に闘うのは人間が「巨人化」した存在同士。

敵と味方の構図が錯綜し、誰と誰が戦っていて、何を争っているのか読者である私は途中で見失っていました。作中の視点も固定的ではなく、あらゆるステークホルダーの視点を可変的に見せることでそれぞれの利害が徐々に明るみになってくる。

「敵」は常にいましたが、絶対的な「悪」はいなかったように感じます。

みんな大事にしていることがあって、みんなそれぞれの目標、理念がある。
仲間だと思っていたやつが、急に敵になる。
敵だと思っていた存在が味方になる。

やっぱり振り返ってみても、初期の進撃でライナーとベルトルトの正体が分かったあの瞬間が一番鳥肌モノでしたね。

駆逐してやる、、この世から一匹残らず!!

エレンはこの言葉を貫きましたね。「始祖のもたらす影響には過去も未来もない」と作中でありましたが、これは何も始祖の力に限らず、物事の理すべてに共通するように感じます。

「自由」を求めて戦ったエレンでした。富や名声ではなく、概念である自由を求めるのは凄く難しいことだと思うのです。「自由」という言葉の定義は何でしょう。「不自由ではない状態」ぐらいにしか思いつきません。そうすると、「不自由」が何かを定義しようとしなければいけませんが、「自由ではない状態」と、迷宮入りの論争になってしまい、無限ループにはまります。

こういった定義に困る抽象的概念を求めて何かと闘うということの難しさを強く感じました。

エレンが「自由」を求めたように、お前は人生で何を求めているんだ、と問いかけられているんじゃないかとそう思うのです。

「考える」ということ

物理的に「闘う」ということだけでなく、「考える」という行動についても強いメッセージ性を感じました。特にアルミンは常に考えてましたね。武力ではなく会話をすることで解決できないか。もっといい方法はないか。そもそもなぜ行動しているのか。

ただ敵と戦って勝った負けたという波を楽しむ作品であったらここまで人気を博していないでしょう。作中に散りばめられた伏線の回収、登場人物それぞれの細かい描写、解釈の余白をもたせ常に読者に委ねるストーリー構成。「考える」という行動を取らないと楽しめない作品でした。

目に見えていることだけが真実ではなく、当たり前の日常だって疑う対象になりうる。

武力にまかせて解決してもそれは一時的な対処でしかなく、根本的な対応ではない。

全員の利害を一致させることは難しく、何かを変えるためには何かを捨てなければならない。誰かを救うためには誰かを犠牲にしなければならない。作中では沢山のトレードオフが見られました。

登場人物が難しい決断を迫られる度に、「自分だったらどうする」と語りかけられているように感じました。

まとめ

ありふれた感想にはなりますが、「闘え、そして考えろ」というメッセージを進撃の巨人という作品から受け取りました。ただ何かを求めてガムシャラに闘うのではなく、常に思考して決断していくことも大事なのだと。

まぁ人間はいつも決断して行動しているのだから当たり前ではあるのですが。

自分の抽象的な信念が土台にあり、それを達成するために必要なことを闘って獲得する過程で、あらゆる思考と決断の連続が存在する。思考して行動する。行動して思考する。

また1話から見返すと違う見え方しそうですね。

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