Software Enginnerとしてオーストラリア移住を目指している
ハマタイ(@hamatai_7109)が記事を書いてます!
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以下、簡単なプロフィールです。
- Software Engineerとしてオーストラリア移住が目標
- 福岡在住のフロントエンドエンジニア
- 副業でWeb制作と某プログラミングスクール講師
- 前職は教育業界のコンサルタント
- オーストラリアで1年間ワーホリ経験
- アフリカ・ウガンダでサッカーチームを運営
- 趣味はサッカー/キャンプ/サイクリング/旅行/日本酒
- 毎月5冊以上は本を読みます(ジャンルは問わず)
社会人としての当たり前と言うけれども
先日、会社の同僚がとあることで上司に怒られていました。「お前、それ社会人として当たり前やぞ」と言ったふうに、結構な勢いで詰められていましたね。何があったかというと、一言で言えば「スケジュール管理ができていなかった」です。
私はとあるシステム会社に出向してエンジニア業務をしています。その怒られていた同僚というのが、お客様との窓口係で、「残課題の整理と対応期限の策定」が主なお仕事になっていました。
しかし、定例ミーティングで彼の順番になると、課題の整理が曖昧で、対応期限についてはまだ聞けていない、といった状況でした。そりゃ、任されていたタスクが出来ていないので叱られます。
ただ、叱る言葉として「お前、それ社会人として当たり前やぞ」と発されたことに対して、細かい私はふと「?」が頭に浮かんだのです。なぜなら、「社会人としての当たり前」という概念こそ曖昧で、決まった定義がないからです。
いろいろ考えを巡らせましたが、結論は「社会人って何だかわからないふわふわしたもの」だということです。この記事内で具体的な答えは書いていません。
そもそも「社会人」という言葉の辞書的な定義とは
「社会人」の辞書的な定義をググってみると、以下のような内容が表示されました。
社会人(しゃかいじん)とは、一般的には学生や無職などの身分を除いた、職業を持つ成人を指す言葉である。社会人は、自身の職業における専門知識や技術を活用し、社会の一員として働き、生活を営む。また、社会人は、社会的なルールやマナーを理解し、遵守することが求められる。 社会人には、公務員、企業員、自営業者、フリーランスなど、様々な職業が存在する。それぞれの職業には、特有の役割や責任があり、それを果たすことで社会全体の機能が維持される。また、社会人としての行動や態度は、個人の信用や評価にも影響を与える。(出典:実用日本語表現辞典)
ふむふむ。
ポイントは以下2点です。
- 職業を持つ成人を指す。
- 社会的なルールやマナーを理解し、遵守することが求められる。
つまり、職業を持たない成人で、社会的な規範を守らない人は「非社会人」ということになりますね。非社会人の具体例については後述していきます。
「社会人」としての当たり前とよく言われること
gptくんに聞いてみました。
社会人としての当たり前とは何ですか。
ほうほう。全部大事なことですね。今回の同僚が怒られた内容としては、特に最後の「8.自己管理」が欠けていたのかなと思います。でもこれをみてまず思った感想は、「これ全部できている人はおらんとちゃうか。」ということです。
いわゆる「社会人としての当たり前」が全て完璧にこなせていたらもはや「スーパーマン」です。会社の平社員なんてやっていないでしょう。どこかで大成功を収めています。
なので、筆者はこの「社会人」という基準が年々高くなってきているのではないかと思っているのです。それと反比例する形で、若者の「社会」へ適応する能力が低くなっているような気もするのです。Covid-19の影響だけでなく、テクノロジーの発展によって、対面でのコミュニケーションは減りました。オフラインで集まることも減りました。
なので、10年前の「社会人」と今の「社会人」は生きる世界が全く別で、その役割や基準、すなわち「当たり前」も一部異なるはずなのです。
非社会人とはどういうものなのかを考える
ここで少し話題を変えますが、社会人について考えるのであれば、そのアンチテーゼである「非社会人」についても考察するべきだと考えます。社会人の定義が曖昧なら、「非社会人ではない何か」と捉える他ないような気もしますので
非社会人を「社会人」の辞書的な定義から考える
冒頭の辞書的な「社会人」の定義は以下のようなものでした。
- 職業を持つ成人を指す。
- 社会的なルールやマナーを理解し、遵守することが求められる。
つまり、ここから推測するに、「非社会人」とは「職業を持たない成人で、社会規範を守らない人」ということになります。
簡単な例でいうと、
「ニートで実家に篭り、全く部屋の外に出ず、1日中ゲームをしている成人」
といったペルソナがあてはまるでしょう。
違う例でいくと、「主婦・主夫」と呼ばれる方も非社会人でしょうか。
職業を持っておらず、基本的には家事、子育てが「仕事」なので、「社会」との関わりは限りなく少ないはずです。
ただニートでも主婦・主夫でも、税金は納めているし、犯罪を犯さなければ社会的にも立場はあります。辞書的な定義で考えると、話が空中分解してどこにも着陸しなさそうですね。
人と関わらず孤独に過ごす人々は非社会人なのか
それでは視点を変えて、「非社会人」とは「社会」、つまり「他者」との関わりを絶っている人なのか、ということについて。
1日中誰とも話さず過ごした経験はみんなあると思います。
それが1日ではなく、1週間、1ヶ月と続く人もいます。
人間と関わらない、つまりどこの組織コミュニティにも属さないという意味で社会と隔離している人々は結構います。「職業」について考えてみても、誰とも関わらず1人で完結する仕事はこの令和の時代、たくさんあります。
人と関わっていないからといって、社会人ではないというのも少し違うような気がします。
【結論】社会人は何だかわからないふわふわしたもの
結局のところ、何が「社会人」なのかわかりませんでした笑。
したがって、「社会人としての当たり前」もわかりません。
言葉も生き物なので、時代の変遷によってその定義が変わります。今回叱られていた同僚は20代後半、叱っていた上司は50代前半です。生きてきた時代が約20年ほど違うのです。
20年ものギャップがあれば、いろんな物事に対する「当たり前」や基準が異なっていても仕方ないと思います。なので、今回の事件については、50代の上司が考える「社会人としての当たり前」は20代の考えるそれと少しギャップがあることが1つの原因かと思います。
根本的に任されていたタスクができていなかったから、「仕事ができていない」という状態なだけです。それを「社会人としての当たり前ができていない」と叱るのは少し違うのかなと。
「仕事ができていない」原因は、彼のヒューマンエラーではなく、組織として彼を統率、管理できていなかったシステムエラーだと私はかんがえていますので。
思いつくがままに書いたので、読みにくい文章になりました。「社会人」としてもう少しわかりやすい文章を書けるように精進していきます。